たとえば、紙コップに単純な線で顔をかいてみる。
紙コップは急に擬人化されたようになり、私たちは描かれた線以上に、そのもの自体に意識が生まれたかのように感じる。それはまた、線の様子にも関わるのだろうが、なんでもないものが突如「かわいい」という言葉で表現されるような、不思議な愛着心を私たちに抱かせることが多い。 顔に見える模様を持った石や木目、人面魚などは、私たちに不安や恐怖を感じさせ、犬にいたずらして描いた眉や、ニコニコ笑うアニメの花、世界中に溢れているキティやピカチュウなどは、どれもこれもがこちらを向いて何かをアピールしようとする。 人の視線というのは、遠い後ろから見ていたとしても、しばしばその人を貫くものである。電車内でふと視線をずらしたとき、だれかと目が合ってしまう経験は、だれしもがもっているはずだ。人の視線だけでなく、顔のアイコン(とくに目と口)というのは人を引きつける。それの魔力を利用してか、電車内の広告に印刷された顔は、私たちに何かを訴えようと必死である。メディアに頒布するすべての商品に顔のイメージがあるくらい、TVCM(もしくは番組)にも顔は溢れている。 果たしてそれらすべての顔が必要なのだろうか。いや、そうではないだろう。この狂気じみた顔の氾濫に、どうしても安易さと不安を感じてしまう。
by nakayamaharuna
| 2005-04-19 22:00
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