顕微鏡と人工衛星

b0016054_1949627.jpg眺めのいい場所を好ましく思ったり、見たことのないものに憧れたりする気持ちは、人が誰かとコミュニケーションすることとなんら変わりがないような気がする。
よくよく見てやろうとじっとしているのではなく、様々な方向から眼差したり、時にはその対象に触れてみたりするのは、デッサンでも写真でも、いやすべてのことにおいて必要な所作である。
普段は気がつかないが、自分と対象の距離というのはだいたい決まってくるもののようで、だれかと旅行して、同じ時間に同じ場所にいたにもかかわらず、他者と自分の写真が異なってくるのを見るように、私と他者の眼差しの距離というのは、それぞれ異なるものなのだ。
また、それぞれのもつその距離というのは、なかなか離れることの出来ないある程度決まったものであり、だからこそ他人の距離(眼差し)というのに関心がある。それは結局のところ自分の眼差しへの確認でもあるだろう。
先日、顕微鏡みたいな私は人工衛星みたいな人と話をする機会を得た。かみ合わないようなかみ合うような、実に不思議な体験だった。人と話をするということは、こんなふうに宇宙までいけるような気分にさせてくれるのだ。ここに旗を立てたくもなろう。

画像はオジギソウ。含羞草と書くのだそうだ。
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by nakayamaharuna | 2005-06-08 20:21 | place


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