一日に何度トイレに行くか、などは数えたこともないが、トイレに行く回数の分だけトイレのドアを開け、ズボンをおろし、下着をおろす。必要とあらば便座の蓋を開け、用を済ませば水を流し、服を元に戻して手を洗う。
今までこの一連の動作はまるで個々人の作法のごとく毎回決まった順番・内容で行われてきた。が、今では便器や便座の種類によってその作法をフレキシブルに行っていかなければならなくなっている。 たとえば水を流すレバーは様々なボタンとして我々の前に現れ、INAXのノンタッチ便フタ開閉機能のように便座の蓋をあげるかあげないか、のような基本的な動作でさえ多様性を持ってきた。 現在では常識となっている手を差し出すと水の出る流しや、自動で水を流してくれる機能、またドライタオルなどの排泄に関わるオートメーション化は、いつの日かわれわれの排泄さえも省いてしまうのだろうか。さらに言及すれば、空腹の感覚を解消するぐーぴたっや、食事そのものを省くためのウィダー・イン・ゼリーのような商品のように、排泄感やそれに費やす時間さえもいつかは消えてなくなるのかもしれない。 便座の蓋が自動で開くというマシーンリーなホスピタリティに触れ、そのような論を繰り広げる云々。トイレは物思いにふける場所なのである。
by nakayamaharuna
| 2006-04-25 22:39
| shanhai
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