カテゴリ:study( 16 )

言葉は生き物

b0016054_11355529.jpg「まなざす」という言葉を動詞として使うのを普通としてきたのだが、今さっきこれは日本語ではないということを知った!衝撃である。
なぜわたしが「まなざす」という言葉をつかってきたのかと振り返ってみれば、社会学者の吉見俊哉氏の著書を読んできたからで、とくに1992年に中央公論社から出た『博覧会の政治学――まなざしの近代』は名著であった。この本が世に出てから15年経つが、「まなざす」という言葉は結局のところ一般化していない。他の言葉に比べるとずいぶん成長が遅いが、言葉は生き物である。このまま滅びる可能性も高い。

参考:教えて!goo 「まなざす」は認知された言葉でしょうか。
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by nakayamaharuna | 2007-08-20 11:49 | study

ごめんねWord

ちょっと文章を寝かせて、
再度開くと、
そのたびに文章の穴が見つかる。
Wordが壊れてるんじゃないかと
やたらと疑ってみたりするのです。

罪のないWord。

ごめんねWord。

君もさすがに疲れたでしょう。
毎日毎日これじゃあね。

iBookのほうも、キーの文字をすり減らして
がんばっております。

やーやー、みんながんばりましょう。
君らがいないとわたし何もできなくなっちゃう。
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by nakayamaharuna | 2005-12-29 00:11 | study

ライティングハイ

ランナーズハイならぬ
ライティングハイになってきました。
いや、タイピングハイかな。

だんだんiBOOKの前で
ジャズピアニストみたいになってきました。

寝ても覚めても論文です。

考えすぎで、頭が大きくなっていくような気がして
おそるおそる鏡を見ました。
でも、いたのはやっぱり自分でした。
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by nakayamaharuna | 2005-12-28 01:22 | study

覚醒する意識不明

b0016054_23343265.jpg「食」と「哲学」がそうであるように、
「睡眠」と「学問」も身体活動のうえで対極の位置にあるため、
いまだ不明な点が多い。
眠ることと意識して思考を巡らすことの同時進行は困難だからだ。
夢がコントロールできるという人がいそうであるが、
ぜひ睡眠に関する科学者になるべきである。
年末ジャンボより高確率で、大当たりするだろう。

とある学者は、睡眠を「覚醒することが前提の意識不明」と
定義した。
きのう銀座の路上で倒れていた人は、
果たしてその後、覚醒したのだろうか。
周りの人の呼びかける声は、彼を夢から呼び起こしたか。
師走はほんとに忙しない。
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by nakayamaharuna | 2005-12-19 23:36 | study

ご馳走としてのおっぱい

女の人の、成熟した裸!
とくに胸は、赤ん坊でなくてもグッと来る人間の部位である。
猿のようにわたしたちの視線が地面に近かったら、
胸はこんなに魅力的にはならなかったはずだ。
かたち、テクスチャー、大きさと、
おっぱいにはさまざまなキャッチーさが溢れんばかり。
それも、目線の行きやすい部分にそれがあるのだ。

おっぱいの絵画と食べものの絵画は似てる。
いや、むしろ同じものかもしれない。
実際、おなじ画面に描かれることも多いのである。

そういう第2章3節を書いてます。
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by nakayamaharuna | 2005-12-13 22:33 | study

口の中がピザの日記

b0016054_15243095.jpgきのうは中川幸夫氏に関連する講義、今日はフラワーの松井さんの講義にでた。あと3ヶ月たらずで学生でなくなるので、こういった活動には妙に感慨深くなるのである。センチメンタルである。
前者の講義の最後、レクチャラーの地雷をかする質疑をしてしまった。質問の言葉を紡いでいると、相手の顔に、怒りがちらほらするのである。冷や汗がでた。しかし、質問もなんとか着地させて、相手も大人なので笑いに落としてくれた。よかった。
後者の講義では、顔見知り故の恥ずかしがりで、まともにお話しできなかった。もうすこし人当たりよくしないと、わたしの会社経営は先行き不安である。

今日、あやちゃんがポテトチップスをくれた。
小さなかけらだったのに、口の中がピザだらけになった。
鼻をつまんで食べたら、ただのポテトチップスだった。
指を離すと、ピザが鼻から抜けていった。
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by nakayamaharuna | 2005-11-30 21:48 | study

論文の幕

b0016054_0245635.jpg今更ながら、西洋絵画について研究をしているのだが、なかなかどうして、宗教の違いは研究に大きな軋轢をもたらすようだ。
西洋絵画の歴史は、キリスト教の宗教画という系譜を経てきたことを避けては通れない。翻訳されているその手の本では、"God"が"神"と訳される。あたりまえである。
しかしこのあたりまえさに、実は大きな問題があるように思う。
日本語の"神"という言葉には、やはり日本人にとっての万(よろず)の"神"のイメージがつきまとうし、そもそも"紙"やら"髪"やら"上"やら、音でもわかるように、日本の"神"はキリスト教的な"God"とは別物である。とにかく"God"は"カミ”じゃない。これは知識を深めるほどに明らかになる。

そして絶望する。

私は(西洋)絵画が苦手である!と。
感覚的に絵画を理解することはもはや不可能なのではないか、と。
頭で理解するしかない美術のたぐいは、本当に私の行かんとする美術なのか、と。

だからこそ食べものという身体的なキーワードに助けを乞うのかもしれない。
唯一信じられるものは、この肉体だけなのだ、とどこかでおもっているのかもしれない。
身体にもっとも近い素材である食べものに着目することは、そういう意味で私にとって必要なことなのかもしれない。

あ、これ論文の幕開けですな...
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by nakayamaharuna | 2005-11-18 00:45 | study

こんなプレゼン、と

b0016054_215593.jpgたとえ論文でも、3Dにして考えます。資料を切り貼りしたり、書く素材(今回は黒板)をつくったり。
たとえ図書館で調べものをするとしても、フィールドワークやパフォーマンスとして動きます。ページをめくる感じや、その場での自分のたたずみ方も、その本となじむように、とにかく空間を楽しむ。

そうやって集めてきた情報を、どんなふうに並べてもよい(かもしれない)。それが論文の醍醐味かと、おもうときが、たまに、あります。
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by nakayamaharuna | 2005-10-22 02:24 | study

先端の論文

論文の最先端ではなく、先端の論文。
こいつはくせ者だ。なぜなら美術表現をしている作品群と、おなじ時間、おなじ空間に並べなければならない。先生に書きかけのレジュメを渡して、ちょっと意見を拝借というわけにはいかない。
どうして論文という表現のフィルターを"選んだ"のか、その論文を書くことにはどんな"意味"があるのか、どういうふうに論文を"みせる"のか。そういう異常な質問を投げかけられるので、こちらとしても異常な用意をしてかからねばならない。
ペンとペンキとパソコンをもって、右往左往の深夜0時。
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by nakayamaharuna | 2005-10-19 00:00 | study

4/27新宿紀伊國屋本店

水越伸さんのメディア・ビオトープ—メディアの生態系をデザインする出版記念のトークセッションに行ってきました。今回は任天堂からエレクトロプランクトンを出したばかりの岩井俊雄さんとの対談。
なんと両氏は筑波大からの知り合いだったそうで、学生時代には岩井さんのパラパラマンガを水越さんが文化祭で売る、という妙な関係性を持っていたそう。思わぬ親近感を抱くに至ったのでした。
メディア・ビオトープ論は非常に感覚的な部分が多く、ビオトープについての知識と実体験がない者が読んだとき、どの程度理解が深まるかが疑問ですが、少なくとも高校時代をビオトープと友に過ごしてきた私は、運動後のポカリスエットの如くメディア論が身体にしみいった思いがしました(まだまだ先は長いのですが)。
そしてやはり岩井さんと会うと、長時間座っていたパイプイスを座り直したような心地がします。今日は感覚的な話ばかりです。
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by nakayamaharuna | 2005-04-27 23:49 | study