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4/27新宿紀伊國屋本店

水越伸さんのメディア・ビオトープ—メディアの生態系をデザインする出版記念のトークセッションに行ってきました。今回は任天堂からエレクトロプランクトンを出したばかりの岩井俊雄さんとの対談。
なんと両氏は筑波大からの知り合いだったそうで、学生時代には岩井さんのパラパラマンガを水越さんが文化祭で売る、という妙な関係性を持っていたそう。思わぬ親近感を抱くに至ったのでした。
メディア・ビオトープ論は非常に感覚的な部分が多く、ビオトープについての知識と実体験がない者が読んだとき、どの程度理解が深まるかが疑問ですが、少なくとも高校時代をビオトープと友に過ごしてきた私は、運動後のポカリスエットの如くメディア論が身体にしみいった思いがしました(まだまだ先は長いのですが)。
そしてやはり岩井さんと会うと、長時間座っていたパイプイスを座り直したような心地がします。今日は感覚的な話ばかりです。
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by nakayamaharuna | 2005-04-27 23:49 | study

講義とドライブの関係性について

b0016054_2352652.jpg大人数で聞く授業というのは、なんだか移動しているような心地がするものである。
大量の情報が降り注いで、その中から興味のあるトピックを拾っていく。一対一のような気遣いをしなくて良い分、一人で車を運転しているときのような気楽さがある。いつでも立ち止まれる。その間は好きな方に向かっていけるのだ。
私の言う好きな方というのは、授業中における落書きみたいなものなので、けして真面目に授業を聞いているというわけでもない。あくまで窓の外を眺めつつ、遠くから来る情報をさりげなく拾う。これは素晴らしく贅沢なことである。話を聞いている必要もないのに、しかしながら聞いていられるというのは。学生でなければ、なかなか出来ないことである。
写真の授業は、素晴らしいエンターテイメント性を持った教授の水曜5限。普段はシャイな感じである人なのに、授業になるとドカンドカンと笑いを作る。これぞサービス業。
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by nakayamaharuna | 2005-04-26 23:03 | place

鉛筆の後ろや10円玉

b0016054_2236265.jpgだれかの「これ食べれるんだよ」という声に反応して、人だかりをのぞき込むと、あれ?様子がおかしい。これはカブトムシだ。
物心つく前の人間というのは、なんでも食べてしまうものである。食べるというよりは、手にして、口に運んでしまうという表現のほうが正しいか。
私も例外なく、幼稚園前の年頃のときクワガタを食べたことがある。目の前にあったクワガタという"もの"に、ものすごく興味がわいて、おもわず手にとって口に運びたいという衝動に駆られた。味や食感などは思い出せないが、その直前までの感情だけはおぼえている気がする。気がする、というのはもしかして気のせいかもしれないから。思い出というのは曖昧なものであるから。
鉛筆の後ろや10円玉の味は、なんともいいがたい思い出の味であるが、今となってはもう一度という気持ちにもなれない。ヒトというのは不思議なものである。
カブトムシはもちろん食用ではなく、飼育、観察用として売られていた。焼き芋みたいに、次から次へと売れていった。
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by nakayamaharuna | 2005-04-24 23:00 | place

三本

b0016054_2218298.jpg今年初めてのアスパラガス
大事に大事に食べました。
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by nakayamaharuna | 2005-04-23 22:31 | news

しまった!

b0016054_1954734.jpgフリーマーケット。服にはだいたい100円から1500円まで値段をつけます。
天気がいいと雰囲気でどんどん売れたり、200円を買い渋られたり、7年間売れ残っていたジャケットが売れていったり、様々なことが刺激的。自分のいらないものを人がうれしそうに買っていくというのは、なかなかおもしろいものです。
ありえないくらい短いショートパンツを、フィリピーナが買っていってくれたときは、思わず、彼女への神のご加護を祈りました。日本でがんばって暮らしていってほしい。
そんなこんなで、たんすの中が空っぽになりました。ふと気がついたら明日からの服がなかった。
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by nakayamaharuna | 2005-04-23 20:10 | place

裸のシェフ

b0016054_9135680.jpgジェイミー・オリヴァーのブレックファーストに目を通していて思い出した。偶然、彼の番組「ミューズリー」の回を見ていてとあることに驚愕したことを。
番組は、彼がクラブで踊っているところから始まる。彼はそこでかわいい女の子たちを数人引っかけて、家に連れて帰るのだ。で、彼は何をするかというと、早朝にマーケットに行き、一人食材を買い集める。女の子たちは家で待っているらしい。帰宅後フライパン一つでできるイングリッシュブレックファーストや、自家製ミューズリー(シリアルとフルーツなど)を調理する。その間、女の子たちは「ねぇ、まだぁ?」みたいにちょっかいを出しに来る。そういえば、コーヒーに似せたデザートも作ってたっけ。これには女の子たちが大喜びで。そんなこんなでいただきまーす、という具合の番組構成だったのだが、私はこれはアダルトビデオにそっくりな構成だな、と思いながら見ていた。イメージをふくらませるゆるいストーリー展開、最終的に欲望(食欲)の解放。単純だが駒が揃っているのだ。1990年代頃、食文化の研究が盛んになった頃から、性欲と食欲の文化比較などは行われているけれど、ここまではまるケーススタディーは他にない。研究もそんなに多くないのだが。
そういえば彼の異名も裸のシェフなのだった。出来すぎである。
レシピ本の類は少女マンガのようなテクストを持つ、とはたびたびいわれることであるが、私はここで「レシピ本の類はエロ本のようなテクストを持つ」といいたい。そうすると、世の中がちょっと変わって見えてくるとおもうのだ。
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by nakayamaharuna | 2005-04-23 09:37 | London

学問の敵(下)

b0016054_21352388.jpg
そうなのだ。この図書館にいると、退館するときの理由が毎回空腹なのだ。けして知的満足に至るまで、この場所にとどまっていられた例しがない。これは勉学における障害といっても過言ではない。
そこで図書館の関係者に提案である。軽食のとれる場所を、簡単なものでもいいので用意してはくれまいか。研修センターに付属しているからか、館外にには腰掛ける場所も、ましてはおにぎり、サンドイッチの類を立ち食いできるような場所さえないのは、ややホスピタリティに欠けている。せめて軽食のとれる近隣の地図などでもあればありがたい。
ajinomotoと財団が別の運営だということも承知であるが、一寸ご考慮いただきたい。だって食を扱う企業と財団なのだから。

画像は同建物2Fの博物館より。歴代の味の素CFがおもしろい。
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by nakayamaharuna | 2005-04-22 21:39 | place

学問の敵(上)

b0016054_204475.jpg調べものがあると、いつもこの図書館へ行く。
ここは最近、最寄り駅が東京駅から品川駅へと移ったばかりで、ajinomotoの研修センターを兼ねた新しい建物に移動した。数倍広くなった上、書棚もずっと広くなり、ずいぶんと見やすくなった。ちなみに品川は.automealの事務所(?)のあるところである。なんとなくうれしい巡り合わせなのだ。
それはさておき、食べものの本を読んだり、文章を書いたりしていると、空腹になるタイミングが早まる気がする。哲学者たちが味覚に関する言及を避けてきたのは、食欲が学問の敵だからである。空腹(もしくは満腹)になると思考も身体活動もどうしても鈍くなる。数百年の間に渡って、哲学や美学、また他の学問からまともに扱われてこなかったという食の学問の因縁を、私はどうしても否定する気になれない。(続く)
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by nakayamaharuna | 2005-04-21 21:33 | place

競争の雨

b0016054_8565379.jpgヒトには、競争心というのが本能的に備わっているようにおもう。
一人っ子は、一概には言えないが、マイペースという言葉を頂戴することが多い。しかしながら、彼らは彼らの内部において、一人競争しているということがよくあるのだ。自分自身のなにかとたたかっているわけである。
運動会。小学生の頃、同級生が宗教上の理由で参加するのをやめたことがあった。その子とは、その前の年の運動会で、一緒に徒競走をしたことがある。その子が1着で私が2着だった。私たちは走り終えたあと、なにかを言い合いながら笑った気がする。なんだったのかは思い出せない。
12年間あった運動会の中で、記憶に残っているのはそれだけだ。彼女はその次の年から、物憂げなかんじになった。でも私はそれはそれで好きだった。
雨の中を一人で歩いていると、どうしたら泥を跳ね上げずに歩けるか、とかのちょっとしたことを必死になって考える。答えに褒美があろうがなかろうが、人から物憂げに見えようが見えなかろうが、気にはしない。様々に工夫したりして、ゴールまで一人歩く。寂しさをまぎらわすため?それはあるかもしれない。しかしこれは歴とした一人っ子の競争なのである。
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by nakayamaharuna | 2005-04-21 09:29 | place

アヂンコートの夕方

これを恋愛といわず、なんというのか。
百鬼園先生の「アヂンコート」を拝読する。「ノラや」「ネコロマンチシズム」もそうであるが、先生の文章はロードムービーのような趣がある。文章の中には、ゆるやかな移動感が存在していて、探しものをしているときの百鬼園先生は、とりわけ美しい。
「アヂンコート」はドイツ語を教えていた女性の、空襲後の安否を追い求める話。気持ちや物理的な場所の、あわい距離感にこらえきれないかんじがする。
電車の中で何度も何度も読みながら帰宅し、新聞に目を通していたら、なんと百鬼園先生の命日だということだった。
枕元のグラスには、半分飲み残したシャムパンが置かれてあったそうである。享年八十一歳。
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by nakayamaharuna | 2005-04-20 19:41 | books